- 「僕達に翼は無い」
それは、ある暑い夏の日。
僕はカメラを片手に浜辺を歩き回っていた。
「…うぅ……こんなに暑かったらカメラのレンズが溶けるんじゃないだろうか…」
この日は本当に暑い日で、海で泳ぐには絶好の日和だったと言える。
だけど、それにも関わらず、まるで世界中から全ての人が消え去ったのでは?
そう思わされるほどに誰一人としてそこには居なかった。
「しかし本当に今日は誰も居ないなぁ…。
これだけ静かな真夏の海だ何て…ちょっと気持ち悪いや」
波の音、砂を踏みしめる僕の足音。
そして、セミの声……。本当に今日は暑い。
「うっ…!何だ急にすごい風が…!!」
この暑さの性であろう、突然に僕の目の前に小さな台風の様なものが現れ、
砂を巻き上げながらあたり一面に強い突風を巻き起こしてくれた。
「……はぁ、何だか今日はいいモデルも見つかりそうにないし帰ろうかな…」
風が収まった時、僕の心も何だか静まり返っていて空しかった。
これだけ暑い日だとやる気も出ない…。
僕は家路に着こうとその場で後ろに振り返った。
「……あれ?麦わら帽子…こんなのさっき落ちてたっけ?」
さっきの風で誰かの帽子が飛ばされたのか、
僕はその帽子を拾い上げてみる。
「小さいな…女の子のかな?」
周囲を見渡してみると、大きく手を振りながらこちらにかけてくる人の姿が見えた。
白いワンピースに長い黒髪が印象的で、遠目から見てもスタイルの綺麗な人だ。
「すいませーん!!それ私の帽子です!」
「そうですか、すごい風でしたからね」
「はぁ…はぁ…そうですね。びっくりしちゃいました」
僕の前で頭を下げて肩で息をする女の子。
「はい、これ」
「あ、ごめんなさい。ありがとうございます」
僕が彼女の頭にそっと帽子をかぶせてあげると、
彼女は帽子を押さえながら顔をあげ、にこっと微笑んだ。
「あの、もしかしてカメラマンさんなんですか?」
「へ?そうだけど…今日は何だかパッとしないから、もう帰ろうかと思ってるんだ」
「あの、突然こんな事言ったらおかしいかもしれませんけど、
一枚撮ってもらっても良いですか?」
「…良いけど何を?」
「海をバックに私を撮って欲しいんです。
こんな誰も居ない夏の海なんて、滅多に見られないじゃないですか。
だから、記念に今日と言う日を一枚撮っておきたいんです」
「あぁ、それくらいはお安い御用だよ」
「本当ですか!?ありがとうございます!!」
そう言うと彼女は海に向かって駆け出し、
ワンピースがぬれないように少しすそを持ち上げながら海へと入っていった。
「じゃあ、この辺りに居ますので一枚お願いします」
「あいよ」
僕は三脚を広げ、カメラを乗せ、そこから彼女のほうを覗き込む。
「……あれ?」
その時、僕は我が目を疑った。
レンズ越しに彼女を覗いた時、見えるはずの無いものが一瞬見えた気がしたから。
「…気のせいか」
一度普通に彼女の姿をもう一度確認してみたが、
レンズ越しに確かに見えたはずのものは見えなかった。
「……そりゃそうだよな。今日暑いからきっと幻だよな」
もう一度カメラから彼女を覗き込む。
するとやっぱり今度は見えなかった…。
「うん、人間の背中に翼なんて…あるわけないさ」
僕はこちらに向かって微笑む彼女が一番輝いていると思った瞬間、
力強くカメラのシャッターを切った。
それから数日後、僕は現像できた写真を持ってとある病院へと来ていた。
「…えーっと…608号室……あ、ここか」
入院患者の名前に、先日の女の子から渡されたメモに書かれている名前があった。
「…一人部屋か」
ゆっくりとドアを開くと、
ボーっと表の景色を眺める彼女の姿が目にうつった。
「こ、こんにちは」
「あ、こんにちは!写真出来たの?」
「…うん。でもまさか病院に持ってくることになるなんて思わなかったよ…」
「あっはは、ごめーん」
さっきまでは心がどこかに行ってしまったかのような瞳をしていた彼女。
だけど、僕が声をかけると凄く楽しそうにこちらに微笑んでくれた。
「…へぇー!すごい綺麗!こんなに綺麗に写るもんなんだね!」
「まぁね、一応プロだし。…モデルもかわいい女の子だったから」
「もー!上手なんだから!」
「はは…」
彼女は何度も関心の声をあげながらその写真を色々な角度から眺めていた。
別にそんなに珍しいものでも無い気がするけど、
相当気に入ってくれたようで僕も嬉しかった。
「…なんだったらもっと沢山撮ってこようか?」
「本当に!?良いの?!もっと撮ってきてもらってもいいの!?」
「うん、そんなに喜んでもらえるんだったら何枚でも撮るよ。
…どうせ駆け出しでまだ仕事と呼べる仕事も無くて暇だから…」
「えー、そうなんだ?こんな綺麗な写真が撮れるのに…。
みんな見る目が無いよねー」
「いや、世界にはもっともっとすごい腕前の人が沢山いるよ。
僕なんて足元にも及ばないさ」
「うーん…でも、私は君の写真。凄く好きだよ?」
「そりゃどうも」
「本当なのになぁ」
少しすねたような顔で彼女は枕もとの写真立てに手を伸ばす。
その中には誰も写っていないどこかの海の写真が飾られていた。
「…その写真は?」
「うん、去年家族で行った海の写真なんだ」
「家族で行ったのにどうして誰も写ってないの?」
「……私の趣味かな?うん、海って見てるだけでも心が安らぐから」
「…変な事聞いたかな?」
「ううん、なんでもないよ」
だが、彼女の表情からさっきまでの元気な笑顔は消え去っていた。
「…ごめん、そろそろ僕帰るよ」
「そっか…。いい写真が撮れたらまたきてね?」
「うん。…それじゃ」
僕はそのまま振り返ることなく病室を後にした。
それから半年。
僕は毎日のように彼女の所へ通っていた。
「すごーい!星ってカメラで撮るとこんな風に見えるんだね!」
……たった半年だったのに、
彼女の姿は以前とは大きく異なってしまっていた。
「君に見せたくてね。何枚も撮ってその中での一番の力作なんだ」
顔はやせこけ、髪は抜け落ち。
「ありがとー!本当に嬉しいよ!」
初めて会った時に感じた印象的な長い黒髪はもう無かった。
「…元気ないね?」
「そんなことないよ」
「…まぁ、それはそうだよね…君に初めて撮ってもらった時の写真と、
半年前と全然違うもんね、私」
「何も変わってないよ」
「…自慢だったのにな、長い黒髪」
彼女は悲しそうに自分の頭をそっとなでている。
「でも、なおったらまた伸ばすから。そしたらまた写真撮ってね?」
「…あぁ」
「あの時の写真凄く励みになってるんだ。ほら、病は気からって言うでしょ?」
「そうだね」
白血病。
「……白血病なんて絶対治してみせるから!!」
それが彼女の病名だった。
「…あのね、私思うんだ。
人は空を飛ぶことは出来ないよね?
…鳥と違って翼を持っていないから。
だけどさ、翼が無くても、人は明日に羽ばたく事が出来るんじゃないかな?」
「…だって、私達は明日も明後日もこれからもずっと生き続けていくんだから…」
「私絶対病気治すから!!だから絶対また写真撮ってね!!」
「…うん、約束する」
それから更に年月の過ぎたある日。
「ねぇー!ちゃんと綺麗に撮ってよー?」
「わかってるよー!」
僕は、彼女と一緒に海へとやってきていた。
僕達が出会ったあの思い出の海へ。
「それじゃ、行くよー…1+1はー?」
「2−!」
カメラが捉えた映像の中には、
長い黒髪の美しい女性が写っている。
「相変わらず、凄く綺麗だね。君の写真は」
「モデルがいいからだよ」
「でも、今は世界も認める天才カメラマンだよ?」
「…それは君がいたからだよ」
「でも、私もあの時、君が撮ってくれた写真が無かったら今頃は…」
「君は自分で言ってたじゃないか」
「え…?」
「人は空を飛ぶことは出来ない。
人は鳥と違って翼を持っていないから。
だけど、人は翼が無くても、明日に羽ばたく事が出来る。
だって、私達は明日も明後日もこれからもずっと生き続けていくんだから…ってさ?」
「…そうだね」
「その証拠に、君は生きてるじゃないか」
「でも、今の私は翼を手に入れちゃったから」
「え…?」
「君って言う翼をね!」
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