「終わりの無い世界」



僕達は旅をする。

それは、果てなく続く真っ直ぐな道だった。

誰も見つけたことの無い、聖域を目指して。

誰も知らない世界で、誰にも知ることなく、幸せを求め……。

そこは、終わりの無い世界だった。





朝、カーテンの開かれる音で僕は目を覚ました。

だが、僕はわざと寝たふりを続ける。
このまま目を覚ましても何も無い。

どうせ、いつもの様に五月蝿い母さんに起こされるだけ。
そして、そのまま学校へ向かわないとならないだけ。

そんなくだらないことの為に起きる必要なんか無い。

…あんな無意味な空間で何を学べと言うのだろう?

よく、「学校で何を習ってきたんだ!」と言われる風景を目撃するが、
学校なんて何も教えてはくれない。
実際僕らが学ぶことは、学校の勉強より、友達との遊びの中や、喧嘩の中。

そして、好きな小説、好きな音楽。
好きな友達、嫌いな友達。好きな異性、嫌いな異性。

こうして次々とあげていったとしても、
僕が、学校と言う空間をあげるのに至るまでは、果てしなく遠い。
あえてすぐに1つあげるとすれば、名のある学校の卒業資格。

だが、そんな誇れるような名前の学校を卒業した所で、
僕自身が優れた人間として、人生を真っ当できるのかどうか?

等と目を閉じ考えていると、
突如、僕の口元が不思議な感触に襲われる。

あまりにも唐突な出来事に、僕は思わずベットから飛び起きていた。

そして、その驚きを表すかのように、
僕の呼吸は、まるで全速力でトラックを一蹴走りきったように乱れていた。

「い…いきなりなにすんだよ!」

僕の視線の先には母ではない、とある人物がいて、
僕の言葉に驚いたのか、オドオドとした様子で、なにやら戸惑ってるようだった。

「……全く…朝から何考えてるんだよ…」

僕の言葉の後、その人物は、顔を赤くし一瞬視線をそらしたが、
僕の傍へとやってきて、軽いくちづけをした。

多分、彼女なりのおはようの意が籠められていたのだろう。

短いキスだったが、凄く長い時間に感じられた。

その子は、静かに唇を離すと、照れくさそうに微笑みを浮かべながら、
僕に制服と、そして鞄を手渡してきた。

あぁ…この瞬間が一番憂鬱な気持ちにさせられる……。

そんな思想を浮かべながら、僕はもさもさと着替えを始める。

そんな中、彼女は、無言のまま僕のベットのシーツを引っ張りはじめる。
僕が座っているのだから、取れるはずも無いのだが、一生懸命に引っ張っている。

「気づけよ」と心の中で思いつつ、僕は無言のまま着替えを続ける。

僕が着替え終わった頃、やっとその事に気がついた彼女は、
今にも破裂しそうなくらいに両頬膨らませ、思いっきり僕の左肩を叩きつける。

…まぁ、女の子の力だ。さほど痛くは無い。

頬を膨らませたまま、僕を睨み付ける彼女。
早くどけろと言いたいのであろう。

口で言えばいいのだが、彼女にはそれができない。
何故か、僕と付き合うようになってから、彼女は言葉をなくしてしまったから。

名前も知らない女の子だった。
彼女の告白に、僕がOK返事を出した瞬間。

まるで、全ての機能が停止したかのように、彼女はその場に倒れた。

後でわかったのだが、
心臓が弱く、興奮するといつもそうだったらしい。

同じ時、同じ空間で過ごして居たのにも関わらず、
僕は、この子が存在していることも知らなかった。
だが、この子は僕の存在を知り、そして、いつも僕を見ていた。

勇気を出して僕に存在を伝えた。
しかし、彼女は言葉を失ってしまった。
…原因はわからない。

だから、僕達は、互いの事を知るのに交換日記をはじめた。

これなら言葉は必要ない。
互いに文章を連ねていけば良いだけなのだから。

最初にした事は自己紹介だった。

僕の名前は、【富樫 時夜】(とがし ときや)です。
私の名前は、【河野 恵】(かわの めぐみ)です。

そんな小さなやり取りから始まった。
2人とも最初は、ぎこちない敬語だった。

そして、いつからか自然と普段通りになっていき、
交換日記がなくとも気持ちがわかるくらいに、僕等は互いを知っていった。

それにしても、どうして、全く何も知らない女の子の為に、僕はあれほど真剣になっていたのだろうか?

そう…ただ単純に……一目ぼれだったから……なんだけどさ。

そんな事を思い出しながら、僕は、ふと彼女の名前を呼んでみた。

彼女は、僕の呼びかけに気づき、どうしたの?と言った表情でこちらを見ている。

「恵って、本当に可愛いよな」

言葉に特に意味は無い。
ただ、いつも思っていたとしても、こう言う事は時々、本人を前に口に出してみたくなる。

恵は、あたふたと慌てふためき、真っ赤な顔をしていた。
……そして、どう反応していいのか困っている様子だった。

そんな彼女を見ていると、もっともっと構ってやりたくなるのだが、
残念ながら、明け方と言うのは非常に時間が足りない。

僕は「冗談だよ、バカ」と言い残し立ち上がり、
ドアを抜け、階段を降り、居間を目指した。





いつもと変わらぬ登校風景。
いつもと変わらぬ静かな町並み。
たまに道路を走る車の音が、多少耳障りなくらいに五月蝿く聞こえる。

他に登校する生徒達も、ちらほらと目に付く。
そして、会社へと向かうサラリーマンや、OL達の姿もあり、本当に平和な世界なんだなと思わされる。

僕等は、こんな平和な世界で、何も無い…くだらない毎日を送りながら、
いつかは年をとり、そして死んでいくのだろう…。

僕は何の為に生まれ、何の為に生き、何の為に死んでいくのだろう。

「くだらない……」

退屈な日々に、飽き飽きとしていた僕の口から自然と零れた、小さな一言だった。

しかし、そんな考えも数分後には覆される事となる。

静かだった登校風景の中に、突如、ガラスの割れる音が響いたのだ。

これだけならば、別に大したことではないのだが、
それを合図にしたかのように、目の前では次々と異常とも思える光景が広がっていく。

通常、真っ直ぐに道路を走っているはずの車が、
まるでロデオの様に暴れ始め、周囲の人々をひき潰し、
何の疑いもなく、天へと向かって伸びている電柱が、メキメキと音をたて倒れだし、
更には、道を歩く何でもない学生や社会人達が、次々と目の前で血を噴出し倒れ出したのだ。

「………!!!」

その時、僕の隣を歩いていた恵の瞳には、何かが映っていた様だ。

必死な様子で僕の服を引っ張り、何度も何度も空を指差している。

しかし、その指先に僕が視線を動かした瞬間!

「ぐぇ!!」

空から僕めがけ、何か人の様な物が降ってくる。

空から人が振ってくるだなんて瞬間には、
普通に生きていれば中々めぐり合う事はできない。

その、あまりにも突然の出来事に、
避ける間もなく、降ってきたそれを受け止め、僕はその場に倒れこんだ。

「う…!!」

降ってきたそれは、女だった……いや、女だと思った。

髪が長かったから…。
理由はそれだけだ。

正直、もう見れたもんじゃない。
顔から身体まで、全身がぐちゃぐちゃに切り刻まれ、
何が何だか、本当に人なのかさえもわからなくなっている。

更に、その女は、手足が引きちぎられていて、
その部分から、まるで噴水の様に血が噴出していた。

「は…ハハハ……」

あまりの悲惨な状況に、恵は、涙し、嘔吐していた。

だが、僕の方は、乾いた笑いが湧き出ては来るものの、心の中は割と冷静だった。

その女を蹴り飛ばし、自分の上から避けると、
素早く恵の手をとり、その場から走り出した!!

恵は、ボロボロ泣きながら僕の後をついてくる。

先ほどの女の血で、僕の手がぬるぬるしていたのが、気持ち悪かったのだろう。
通常では有り得ないような悲痛な表情で、彼女は泣いていた。

しかし、僕はそんな事を気にすることなく走った。
何がおきているのかわからないが、逃げなければならないと思ったから。





どこへ向かって走ったのかわからなかったが、
気がつけば、僕は、自らの自宅へと戻ってきていた。

「恵、大丈夫か?」

「うん」

何か違和感を感じたが、返事を確認し、僕はホッと安堵の息を漏らす。

「そうだ!恵、心臓は平気か?無理に走らせちゃったから…」

「うん、平気」

今度は、はっきりと聞こえた。
聞こえるはずのない…その声が……。

「恵、お前……声が……」

そう…僕が感じた違和感とは、もう聞こえるはずのない恵の声だった。

しかし、改めて確認してみると、彼女の口は一切動いていないし、
恵本人もなんだかよくわからないと言った表情で首をかしげていた。

「そうか、これは夢なんだな」

そうだ、あんな風に、人間が突如血を噴出したり、
空からバラバラ殺人状態の女が、落ちてきたりする訳が無い。

「まだ寝てるみたいだから、ベットからやり直すよ」

と家の中に入ろうとする。

しかし、そんな僕を引き止めるように、
恵が僕の背中に抱きついてきた。

やっぱり、声は聞こえない。

けど、泣いているのはわかった。

僕は、一度、恵を身体から放すと向き直り、そっと彼女を抱きしめた。

小さな肩だった。
そして小さな肩は小さく震えていた。

だが、僕は恵を抱きしめた瞬間、やっぱりこれは夢なんじゃないのかと思った。

僕の瞳に映った恵の姿が、
背中に天使の様な大きな翼を生やした…とても信じられない姿だったから……。





僕は、恵を連れて、母さんに見つからない様にこっそりと家へ入った。

だが、こんな狭い家で見つからないのは無理と言うもので、
家に足を踏み入れてからすぐ、大地を揺るがすほどの怒声が、家の中に響き渡る。

しかし、そんな母の目線は、すぐに恵へと移され、
先ほどまでの般若の様な顔が、まるで、えびすの様な笑顔へと変わる。

「ごめんね、恵ちゃん。こんなバカな息子で」

それだけ告げると、母さんは、
いつもと変わらぬ様子で、パートの時間だと家を出て行った。

…どうやら、母さんの目には恵の翼は見えていなかったらしい。
もし見えていたのなら、あんなに冷静では居られないだろうから……。

改めて確認をしてみるが、やはり彼女の背中からは、白くて大きな翼が生えていた……。



僕等はその日、学校を休んだ。

食事をとることも無く、何かをすることも無く。
ずっと、2人で部屋の中に居た。

僕の制服は、血なまぐさかった。
だから、洗濯機につっこんでまわしておいた。

恵の制服も、血なまぐさかった。
同じく洗濯機に突っ込んでまわしておいた。

僕は、自分のパジャマを着て、
恵は、サイズの大きい僕のパジャマを羽織っている…と言った感じだった。

そして、相変わらず恵の背中には翼がある。

制服を、突き破って生えてきていたのかと思っていたが、
パジャマに着替える時に、何の支障もなかったようだし、
恵の背中をなでてみても、翼に触れることはできない。

どこからか映写している訳ではないが、
3D映像と似たような物なのだろうか。

それと違う所と言えば、どう角度を変えてもぶれないし、
僕が触れても、全く形を変えることなく、ただすり抜けていくだけな事位か。

別に特に変わった事はない。
彼女の体調も極めて健康そうだ。

しかし、いつもとは違う変化が、ひとつだけ起こっていた。
…何故かわからないけど、恵の手を握っていれば、恵の声が聞こえてくると言う事。

今までは、文字だけでやり取りしていた僕等だから、随分と不思議な感覚だった。

だが、恵は喜んでいた。
理由はどうあれ、僕と会話が出来るようになったと。

もちろん、僕も凄くうれしかった。

だから、僕は、彼女を抱きしめた体制のまま、ずっと彼女の手を握り続けていた。

これから先に待ち受けることなど、予想できるわけも無く。



その日の夜。
僕の家に沢山の警官が訪れた。

何でも、今朝の事件の殺人犯として、僕と恵を逮捕しにきたらしい。

血まみれで走り去る、僕と恵を目撃した人が、
現場を見て通報したらしい。

小さい田舎の村で起きた、大きな殺人事件。

普段大した事件が起きない分、情報が流れるのは異常なまでの早さだった。

まるで何かに取り付かれたように、
僕の家を取り囲み、村の人々が全員…叫んでいた。

出て来い!殺人者!!

……どうしてこのような結果になってしまったのだろうか……。

どれだけ考えたところで答えなど出るはずはない。

翌日、僕等には死刑宣告が下された。
凶悪犯罪者を、世に送り出すわけには行かないと。






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