「決戦前夜」




あれから、どれくらいの時間が経ったのか、
すっかりと日は暮れ落ち、辺りは夜の闇に包まれていた。

「……信じ…られないよね……」

一通りお酒で盛り上がった後、
母さんが突如口にし始めたフィンの話。

それは、とても信じられないような出来事…と言うよりか、
信じてしまえば、私のやってきた事全てが、丸々否定されてしまうような。
そんな感じがしていた。

「…サタンさえも手玉に取るほどの凶悪な悪い魔物がいただなんて……ね…」

その魔物の名は、【ルイノス】
…魔族の世界の絶対悪と言う意味で、
あのサタンでさえも、その力には一目置いているとか何とか。

驚きの事実に落胆し、すっかり意気消沈する私達にお構いなく、
母さんは、その後も淡々と話を続けた。

「サタンも…いえ、あの優しかった父さんも…ルイノスに心を操られ、狂ってしまった。
そして、私や母さんに襲い掛かってきた。
貴方達に剣を向けたフィンと同じようにね。

でもあの時は…母さんが、母さんが私をかばってくれたお陰で、今も私は生きている。

…だから、私は誓った。
母さんの命を無駄にしない為にも、必ず父さんを闇から助け出す為にも、
私は、絶対にルイノスをこの手で…倒す!!…ってね……」

母さんが、強く握り締めた拳からは、
真っ赤な血が滴り落ちていた……。

その後、寂しそうに小さく笑い声をあげると、
母さんは、無言のまま椅子から立ち上がり、
ファナの方に向けて静かに手を差し出した。

「…なに?」

「タバコ。私にも一本よこしなさい」

懐から一本、新品の煙草を取り出し、母さんに手渡すファナ。

母さんはそれを受け取ると、慣れた手つきで煙草に火を点し、
深く、そしてゆっくりと、煙を吐き出した。

「父さんの本当の名前は、【アディ】
…サタンと呼ばれだしたのは、
父さんが完全に闇にのまれ、苦しみから逃れるために、魂を奪おうと人間界に姿を現したその頃ね」

「どうして魂を?」

「魂はね、闇にとらわれた者の苦しみを抑える鎮痛剤みたいなものなのよ。
人間誰しも、楽な方楽な方へと流れていく傾向があるでしょう?
魔族だって…父さんだって、この苦しみから少しでも解放されるなら…そんな気持ちだったんでしょうね」

「ふーん……」

闇にとらわれると言う事が、
どれだけ苦しい事か、辛い事か。
私には全然わからないんだけど、
それでもやっぱり、誰かを傷つけてまで自分が救わる…なんてのは嫌だ。

でも、そこまでして逃れたいほどに苦しかったなんて…。
知らなかったとは言え、何だかかわいそうなことをしてしまったような気がしてならない…。

「まぁ、一度闇にとらわれてしまった者を、闇から救い出す程の光の力なんて、私には無かった。
だから、私はヴァン達と協力して父さんを倒そうとした。
死して尚も、闇の力で苦しめられる事は無いから…。

だけど、結局は力不足で、封印することしかできなかった。

…エリス。アンタが、私達の変わりに父さんを倒してくれて、感謝してるわ。
父さんを苦しみから解放してくれて、本当にありがとう…」

「よしてよ。なんだか背中がかゆくなる」

すっと出た言葉だったけど、私の素直な気持ちだった。
と言うよりか、こんな改まってお礼を言われると…嬉しい反面…照れるよね?

「エリス、ありがとう…」

母さんは、穏やかな笑みを浮かべ、小さい声でそう告げた。

「それで、ここからが問題となる場所なんだけど…」

「うん」

「私達が父さんに施した封印の呪文は、
ある特定の呪文を唱えない限り、絶対に解けないはず封印だった…」

「解けちゃったの?」

「そう…封印は解けた。
何故かわからないけど、とある場所に封印されていたサタンの封印が……」

「え?サタンって最初から私の中に居たんじゃないの?」

私の疑問に、母さんは、無言で首を横に数回振った後、
穏やかな口調でゆっくりと語った。

「10年前、私とヴァンが、サタンの封印を施した場所へと訪れた時、
そこにあったはずのサタンの肉体は消えていた。

…封印事態が解除された形跡は無く、肉体だけが…」

「…それって…つまり……?」

「私達の中に一人、裏切り者が居た…その為、封印は失敗していた…と言う事よ」





真夜中、これからの事を考えると落ち着かなくて、
普段ならば誰よりも早く眠りに落ちるはずの私が、
今日の事がグルグルと頭の中を駆け巡り、眠れずに居た。

どうしてこんな事になったのか、
どう言う経路でサタンが、私の中へと収まったのか、
そう言った事は、何一つとしてわからない。

ただ、これから私達が戦わなくてはならない敵…それが一体何かを知ることは出来た。

私は、彼と戦う事が出来るのだろうか?

共に時を過ごし、泣いたり笑ったり、思いを共感しあった彼と。

布団にもぐりこんだまま、
彼が、母さんに突如送ってきたと言う言葉を、一字一句ゆっくりと思い返してみる。

「『ご主人様、あなたの光の力は、僕にとっては、とても、うざいです。
 よって、消えてもらうことにしました。
 あなたのお父さんと、
 あなたの娘、利用させてもらいますよ……』」

…ご主人様、ぷりんの奴は、私の事をいつもご主人様と呼んでいた…。

そして、彼が母さんの使い魔として存在していた時、
その時も、彼は、母さんの事を同じ様にご主人様と呼んでいたそうだ。

「…ぷりん……うそ…だよね?」

……これから戦わなくてはなら無い敵が、ぷりんだっただなんて……
とてもじゃないけど、私には信じる事が出来なかった。

一人になった私を支えてくれたのは、
結果が何であれ、間違いなく、彼だったのだから…。

「…はぁ……」

布団にくるまっていても何ともならない。
かと言って眠れそうも無い。

そう思った私は、一人、静かに家を抜け出し、
家からさほど遠くない場所に発見した切り株に腰掛け、星空を見上げる。

「眠れないの?」

声に振り返ってみると、そこには、心配そうに私の事を見つめるファナの姿があった。

「よいしょっと……」

私の横に座り込むと、
手に持っていたコップ酒を一気に飲み干し、私の顔を見てニコッと笑った。
「…しけた顔してるわね……」

「だってさ……」

「だっても、なにもないわよ!」

そう言ってファナは、私の背中にドンッと勢い良く手を乗せた…

かと思いきや、相当に酔っ払っているのか、
普段の落ち着いた雰囲気からは、考えられないほどの大きな声をあげながら、
連続して私の背中を叩き続けるファナ。

「ほらほらー!泣くなエリス!しっかりしろー!」

「痛い痛い!わかったからやめてよー!」

私の言葉に満足そうに微笑むと、
ファナは、声高らかに、爽快な笑い声を上げた。

…どうやらかなり酒がまわってきているようだ。

「あー…何だか今日は凄くいい気分…ね?エリス…」

「…そうなんだ……私はファナのお陰で背中が痛いけど……」

嫌味のつもりで言ったのだが、そんな事を気にする事無く、
ファナは、酔っ払い特有のゆったりとした口調で、静かに語り始める。

「なんて言うかね、皆から元気を貰えたような気がして、
これから死ぬかも知れない戦いの前なのに、凄く楽しくなっちゃって。
ついつい飲みすぎちゃった」

私の方を見て、少しだけ舌を出すと、ファナは自分の頭を軽く小突いた。

……私の知っているファナらしくはないけど、
お酒の力もあってか、普段は中々人に見せない彼女の幼さが垣間見れたような気がする。

「エフィナはね、昔っから要領が悪いのよ。
だから、私達はいつも彼女のやる事なす事に振り回されてきたわ。
…でもね、彼女は人を惹きつける不思議な魅力を持っていた…何故だと思う?」

「何故?」

「私、言ったじゃない?アンタには、笑顔が一番似合うって」

「それが何か関係してるの?」

「ん…エリスにしてもエフィナにしても同じよ。
貴方達の笑顔はね、人の心を穏やかにさせる優しい笑顔なの。
…例え口では酷い事を言ってたって、貴方達の笑顔はいつも、優しさで満ち溢れているのよ」

「…ほへー……」

確かに、改めて言われてみて考えると、
普通なら、初対面でいきなり、「私が貴方のお母さんよ」なんて言われたって、
とてもじゃないけど信じる事なんて出来なくて、
疑ってかかってしまうのが当然だと思う。

だけど、母さんの目を見ていると、笑顔を見ていると、
母さんの口から発せられる音は、多少曲がっている時があったとしても、
決して、狂っては居ないんだと心の奥底では感じさせられた。

「不思議だね」

「不思議ね…でも、凄く素敵なことだから、忘れないでね、エリス」

「うん!!」

「エリス。離れていた時間を、埋める事は出来ないけど、思い出はこれから幾らでも作れるわ。
だから、ルイノスを倒した後は、しっかり、自分の母さんを捕まえておきなさいね。
もう二度と離れないように…」

「うん!!!」

私が元気一杯に頷くと、
ファナは、手にしていたコップを、何故か背中側へと放り投げる。

「あいたっ!!」

コップの描いた放物線の先には、
それほど大きく無い影が一つ……
辺りは薄暗かった為に、私にはそれが何かわからなかったのだが、
ファナは、すでにそれの正体を知り得ていたのか、あからさまに大きなため息をつき、一言告げた。

「盗み聞きとは…関心しないわね?」

地面に落ちたコップを拾い上げ、影はゆっくりとこちらへと近づいてくる。

「…ちょ……ちょっと出るタイミングを逃しちゃって…ね?」

「か…母さん!?」

「あははー…ごめーん……」

母さんは、私の前まで来て立ち止まると、
無言のまま、その場にしゃがみ込んだ。

「エリス……ごめん……な…さい…」

「え……??」

何故だかわからないけど、母さんは泣いているみたいだった。

小刻みに肩を震わせながら、何度も何度も「ごめんなさい…」と小さな声で繰り返し続ける。

「どうしたの?何だかよくわかんないけど、私なら大丈夫だよ!
…そりゃ、少しは悲しい事とか辛い事とかもあったけど、
今こうして皆と一緒に居られるんだもん!!
私は幸せだよ!元気だよ!!…母さん!!」

今の素直な気持ちだった。

母さんが私に謝る理由なんて、泣いている理由なんてどうでも良かった。

…私は今、幸せだから、
皆と一緒に居られて、母さんが傍に居てくれて、幸せだから。

「ね、母さん見てよ。星が凄く綺麗だよ……」

「エリス………」

さっきから下を向いたままだった母さんは、
少しだけ顔を持ち上げて私の顔をジッと見つめる。

「エフィナ」

横で黙ってみていたファナは、母さんの目を見つめ、無言のままゆっくりと、深く頷いた。

母さんはそれに答えるようにして黙ったまま頷くと、
私の隣へと座り、空を見上げた。

「綺麗ね……ヴァンも、どこかでこの星空を見ているかしら……」

「きっと、見てるよ。空は、どこまでも繋がってるから…」

そんなに似合わなかったのか、私の言葉に対して、お腹を抱えて笑い出すファナ。

「し…しつれいよ!!」

「だ……だって…だって……あー!!!お腹痛い!!」

手足をバタつかせ、地面を転がりまわりながら大爆笑なファナ。
……あまりにも見事な笑いっぷりに、何だか怒るのもバカらしい気がしてくる……。

「ゼノー!そんな影でこそこそしてないで、私の隣にきて、お酌しなさーいよー!」

「全く、仕方の無い奴だな」

いつから居たのか、いつの間にやら私達の背後に座り込んでいたゼノ。

その手にはファナお気に入りの酒瓶がしっかりと握り締められている…。
用意周到と言うべきなのだろうが…これ以上ファナにお酒を飲ませても大丈夫なのだろうか?

「なによ!!バカゼノ!!」

ゼノが手にしていたお酒を手渡すと、
突如ゼノに対して怒り出すファナ。

…一体何が彼女の機嫌を損ねたのか、非常に険悪なムードだ…。

「か…母さん?止めなくて良いの?」

「ん……大丈夫よ、しばらく見学してましょう」

…そして、どこから取り出したのか、
母さんは、おつまみと、ビールグラスを手に持ち、
落ち着いた表情で二人の様子を見守っていた。

「バカ!!バカ!!!アンタ何か嫌いよ!!」

お酒の性で気持ちがオープンになっているのか、
錯乱したかの様に、酒瓶を振り回すファナ。

しかし、母さんはそんな彼女の様子を見ても全く焦る事無く、
…むしろ、何だか楽しそうに二人の様子を伺っていた。

「ファナ…飲みすぎだ」

ゼノは、ファナが振り回していた酒瓶を片手で受け止めると、
もう片方の手で軽々と彼女を抱えあげた。

「…あーぁ…私の事も酒瓶みたいにバシッ!と受け止めてくれたらいいのに……」

「考えておこう……」

「バカ……アンタなんか…もう………知らない……」

言葉途中にファナは、彼の腕の中で、眠りへと落ちていった。

その後、ゼノは、私達の方をチラッと見た後、
何も告げる事無く、彼女を抱きかかえたまま家の方へと歩いていった。

「夫婦喧嘩は犬も食わないって言うのはよく言ったものよね」

「夫婦だったの?」

「…例え一度は別れた二人でも、最後には、自分に一番似合う人の下へと帰るように、世の中は出来てるのよ」

「……ふーん…」

そう言った母さんの表情は、何となく寂しそうな感じだったけど、
きっと、自分のヴァン事を思っていたから何だと思った。

「…ねぇ、母さん」

「ん?なに?」

「今日さ、一緒に、寝てもいいかな…?」

「嫌」

「えーーー!!!」

「う・そ♪」

「かーさーん!!!」

「怒っちゃいやん♪」

「…だって、恥ずかしかったんだもん……」

年頃の娘がお母さんに一緒に寝て欲しいだなんて……
普通なら中々言えたものではない……
ある意味で、好きな人に告白する時に近しい緊張感があったと言っても過言ではないと私は思う。

「かわいい……流石……流石…私の娘!!」

「…ほへー……」

そんな私の気持ちを知ってか知らずか、
母さんは、力強く自分の拳を握り締め、
ぶるぶると身体を震わせながら、天を仰いでいた。

「なにはともあれ、ありがとう!母さん!」

「お礼を言われるのも、ちょっとおかしい気がするけど、どういたしまして」

私達は、最後の戦いへと向けて、少しずつだけど、各々の心の準備を整え始めていた。






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