「いつのまに?消えたアトラスハンマー!」




時はシルヴァード暦100年 7月某日。
行商の街トレーダムの宿屋にて一晩を明かしたエスターシアは、
宿屋の地下にある酒場にて、兄の情報収集を行っていた。

「…やはり、物事そう簡単にはいかないですね……」

酒場に居る男達は、エスターシアのような子供に対して、マトモな対応をしてくれるはずは無く、
僅かにでも情報を得るどころか、あっちを向いても、こっちを向いても、からかわれてしまうだけで、
結局、何一つ有力な情報を得ることは出来なかった。

「ここでこうして座っていても仕方が無いですよね…」

カウンター席からゆっくりと立ち上がり、エスターシアは酒場を後にする。

……と、そんな時だった。

「…今の声は!?」

上の階からなにやら数名の悲鳴と、
人のものとは思えないほどの、おぞましい声が響き渡ってきたのだ。

「邪魔だ!!どけ!!」

すると、その場に居た数名の戦士らしき男達は、
エスターシアを押しのけるようにして、階段を駆け上っていった。

「うぅ…なんて乱暴な人達なのでしょう……」

そして、一番出口に近いところに居たはずなのに、
気がつけば一人、エスターシアは、地下の酒場に取り残されていた。

「…はっ!!こんなところで座っている場合じゃないですよね!」

ハッと我に返り、
男達の後を追いかけるように、
エスターシアは、階段を駆けあがっていった。

そして、開かれたままの目の前の扉を潜り抜け、
宿屋の前の広場へと足を踏み入れた。

「こ…これは……」

そこはすでに戦場と化しており、
幾人の戦士達がモンスターを相手に剣を振るっていた。

「危ない!!」

叫ばれたその声は、確実にエスターシアへと向けられて発せられていた。
その事に気がついたエスターシアは、慌てて自分の周囲を見渡してみる。

「えっ…!!」

何故か他のものには一切目をくれず、
エスターシアに迫りくる一匹の蝿型のモンスターの姿があった!!

「アトラス…!!我が呼び声に答えその力を………あ…あれ…?」

アトラスとは、エスターシアがいつも背中に背負っていた大型のハンマーのことで、
15歳の誕生日に母から譲り受けた彼女の大切な武器であった。

「ハンマー……が……無い!?」

いつどこで落としたのか、と言うか、道具屋で着替えた時にどうして気がつかなかったのか。
肌身離さず持ち歩いていたはずのアトラスハンマーは、
いつの間にやら、彼女の背中からその姿を消し去っていた。

「い…いやぁーーー!!」

しかし、モンスターはそんな事情などには関係なく、
エスターシアに向かって、強靭な牙を剥き出しにし、ものすごいスピードで迫ってくる!!

「た……助けて!!お父様!!」

迫りくるモンスターに目を向けていることは出来ず、
ただ恐怖におびえながら、その場に身をすくませることしか出来なかった。



しかし次の瞬間!!
どこからとも無く放たれた一本の矢が、モンスターの顔面を見事に打ち抜き、
一撃の元、その命を奪い去った。

「迂闊だね、戦場に武器も持たずやってくるだなんて」

声の後、どこからとも無く投げ放たれた一本の細剣が、エスターシアの前に突きたてられた。

「ほら!!後ろからもきてる!!」

声に促されるようにして目の前の細剣を手にし、振り返るエスターシア。
そして、自らの方へと向かって飛び掛ってきていたモンスターの攻撃を、素早くしゃがんで回避し、
そのすれ違いざま、手にしていた剣で、鋭い突きをモンスターに向けて繰り出す!!

剣により身体を貫かれたモンスターは、
おぞましいうめき声を上げ、異臭を放ちながら溶けるようにしてその姿を消した。

「へぇ、中々やるじゃない?」

大きな弓を手にした背の高い女性が、パチパチと手を叩きながら、エスターシアの元へと歩み寄ってくる。
声を聞く限り、エスターシアの事を助けてくれたのはこの女性で間違い無いようだ。

「…どこのどなたか存じませんが、助けていただきありがとうございました」

助けてくれたことに対しての感謝と、多少の戸惑いを覚えながら、
エスターシアは女性に対して、深々と頭を下げた。

「うんうん、お礼は金一封もしくは身体で払ってくれれば良いから♪」

「……はぁ…?」

普通ならば「何を言っている!」と怒るような事やもしれないが、そこは世間知らずなエスターシア。
彼女の言葉の意味をそのままに受け取り、困惑してしまう。

「…なんだか変な人に捕まってしまった気がします……」

しかし、そんな不安を他所に、数時間後。

なんだかんだと意気投合した二人は、
先ほどまで居た酒場で、浴びるほどに酒を飲みまくり、完全に出来上がっていた。

「くぅ〜〜〜〜!!泣ける!!泣けるわ!!行方不明の兄を探す為に一人で…!!
エスターシア!!アンタは偉い!!偉いわーーー!!!」

…この会話を交わすのは、通算15回目になるのだが、
もはや出来上がっている二人に、そんな事は一切関係なかった。

ちなみに、エスターシアを助けてくれた弓使いの女性の名は、レベッカと言い、
近々シルヴァード城で行われる、モンスター討伐部隊へと志願するために、偶然この街に泊まっていた所だったそうだ。

そして、その話しを聞いたエスターシアは、
お城の王様に尋ねれば、兄の情報を得られるかもしれないと思い、
レベッカと共に、シルヴァード城を目指すことを決意するのだった。

「おじさま!このジュースもう一杯ください!!」

レベッカに、お酒をジュースとだまされ、
未成年にも関わらず、相当酒を口にしている中交わした会話。

次の日の朝、目覚めた時…エスターシアは、この話と決意を覚えていることが出来るのか、
そこら辺りは非常に謎なのだが……。

ただ一つだけ、この時点ではっきりと言えることがあるとすれば、
このレベッカと出会ってしまった事により、エスターシアの運命が大きく方向性を変えたのは、言うまでもないだろう。



そして、次の日の朝。
猛烈な頭痛を感じて、エスターシアは目を覚ました。

「うぅ…頭が……頭が割れそうです……」

まぁ、単純に二日酔いと言う奴なのだが、
もちろんエスターシアにしてみれば、初体験になるし、
お嬢様として育てられてきた彼女が、そんな言葉を知るはずも無い。

「はっ…!!もしや何かの病では…!!!」

とか不安でどうしようもなくなっている所に、
エスターシアの頭痛を引き起こさせた張本人、レベッカがご機嫌な笑顔で姿を現した。

「おっはよー!!昨日は楽しかったね、エスターシア!!」

エスターシアの数倍は、アルコールを身体に取り入れていたはずのレベッカは、
二日酔いで苦しむ様子も無く、楽しそうな笑顔を浮かべて、開け放たれたドアの元に立ち尽くしていた。

「…ど……どなたか存じませんが、もし宜しければお医者様を呼んできていただけませんか?
今朝目覚めたら物凄い頭痛と目眩と吐き気がするのです……」

「…はぁ?何言ってるの?もしかして昨日のこと覚えてない?」

「……失礼ですが…急を要する事態ですので、お医者様を……」

「……覚えてないみたいだね…。
あのさ、エスターシア…ただの二日酔いで医者なんて呼んだら恥ずかしいよ?」

「二日…酔い……?」

その後、レベッカに二日酔いの事と昨日の事を教えてもらい、
おぼろげに昨夜の事を思い出したエスターシアは、
出かけの支度を整えると、気持ち悪そうに口元を押さえながら、レベッカと共に宿屋を後にした。

「……私、もう二度とお酒は口にしません…」

飲みすぎて、昨夜のことを殆ど覚えていないエスターシアは、
お酒の美味しさを全て忘れていたために、
二日酔いの辛さだけを記憶に残して、そんな事を密かに心に誓うのだった…。



それから、エスターシア達がシルヴァード城へと向けて出発してから、一週間の月日が流れた。

「ただいまー」

今晩の食料を調達しに行っていたレベッカが、
大きなイノシシを抱え、エスターシアの待つ洞穴へと帰還した。

「…レベッカは狩りが上手なんですね」

「まーね、村に居た時もこうやって生活してたから」

懐から取り出した小さめのナイフで、手際よくイノシシをさばくレベッカ。
イノシシの身体にナイフを入れる瞬間などが見えないよう、
エスターシアに背中を向けながらそれを行っているのは、彼女なりの優しさなのだろう。

「もしレベッカが居なかったら、私は死んでいたでしょうね…。
魔物と戦う為の武器も無い、食料を買うお金も無い…かと言って自分で食料を調達できる力も無い…。
レベッカには本当に感謝しています」

「気にしなくて良いよ、エスターシアはエスターシアが出来る事をやれば良いだけなんだから」

「…私が出来ること…?」

「うん、今はわからなくてもさ、絶対見つかるから、エスターシアにしか出来ない事」

「……ありがとう、レベッカ」

と、ニコニコと楽しそうな笑顔を浮かべていたレベッカが、
突如何かを感じ取ったのか、背中の矢に手をかけると、素早く洞穴の外へと向けて弓を構えた。

「……誰!!そこに居るのはわかっているのよ!!」

レベッカが声をかけると、両手を挙げたままに、剣士風の人物が一人、ゆっくりと二人の前に姿を現した。
しかし、その顔は全身にまとったボロボロの布切れによって隠されていて、はっきりと確認することは出来ない。

「すまない、驚かすつもりは無かった…」

「そう言うのなら、まず隠れているその顔を見せてもらいましょうか?」

「……わかった」

レベッカに言われて、顔にかかっている布を剥ぎ取る剣士。
そして、剣士の顔があらわになった瞬間、黙ってそのやり取りを見ていたエスターシアの身体に、一筋の電撃がほとばしった。

「…なっ……今…今何か魔術を使いましたね!!」

「…魔術?いや…私は剣術一筋故、魔術系統には疎いのだが…」

「う…嘘!!嘘です!!その証拠に今、私の身体には確かに電撃が流れましたから!!」

「……そう言われても……」

エスターシアには初めての感覚だった。
決して魔術などではない…そう、それは彼女自身の心が感じたもの。

「あ……う……その………なら……いい…です…」

彼の瞳を見つめていると、身体の奥底から湧き上がってくる熱いもの。
何故か収まらない胸の高鳴り……。

「…私は……ユレス・ヴェイン……傭兵を主な稼業としている…しがない剣士だ」

それは、エスターシアが、生まれて初めて、恋をした瞬間だった。




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3話あとがき